最初に、恥ずかしい告白をします。
秋になると、毎年来てくださる植木屋さんがいます。
今年の見積は、5万2,800円でした。
去年は4万3,000円でしたから、9,800円も高くなっています。
そして、帰りぎわに、
落ち葉の処分の追加が、口頭で乗りました。
紙に書いてある5万2,800円には、その追加は入っていません。
その上、支払いの希望日は、次の年金の振込より、先でした。
そのとき、私の頭に最初に浮かんだ言葉は、「自分でやれ」でした。
次が「安くしろ」で、その次が「来年に延ばせ」です。
毎年、松とツバキとモチノキを、きれいにしてくださる植木屋さんに、
私は、「お願いします」と頭を下げながら、
心の中で、そんな冷たい言葉を向けていたんです。
「人件費が上がって」と言った、その人に。
けれど、いちばん応えたのは、
見積が去年より9,800円高いと知って、冷たい気持ちになった自分がいたことです。
こんにちは、和恵です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
64歳で、公民館の受付を、週2日しています。
夫は66歳で、年金暮らしです。
ブログに書いてきたことは、紛れもない私の実体験です。
そして、私の周りの、同じ年代の方々にも、起きていることです。
今年の植木屋さんの見積が5万2,800円で、去年の4万3,000円より9,800円高いことはありますか?
庭の手入れのお金のことで冷たくなるなんて、大げさで、不謹慎かもしれません。
お世話になっている方にまで、冷たい気持ちになるなんて、と思われても、仕方がないです。
でも、実際に私の身に起きたからこそ、
敢えて、言わせてください。
まだ先のこと。まだ大丈夫。
そう思って、安心していませんか?
私も、そう思っていました。
去年と同じくらいなのは、もっとあと。今年の秋ではない、と。
もし、そうだとしたら。
あなたの先々は、もしかしたら、予想より暗いのかもしれません。
だって、この世の中は、
私たちが備えていないところへ、リスクが来るようにできているんです。
少なくとも、私は、自分の身を呪いました。
自分の浅はかさを呪いました。
呪って、呪って、縁側に広げた見積を、にらんでいました。
考えてみてください。
庭の手入れは、毎年のこと。
毎年のことなら、金額も、毎年だいたい同じ。
これは、世間でも、いちばん当たり前の考え方でしょう。
私の信じていたことは、この三つです。
・庭の手入れは、毎年同じくらい。
・口約束は、紙の額を変えない。
・来年に延ばせば、今年は来ない。
だって、そうでしょう?
紙に書いてある額が、いちばん確かなものです。
延ばせるものは延ばせば、その年は、やり過ごせる。
私は、その「予定」の中で、安心しきっていました。
けれど、考えてみてください。
この「予定」が、もしも崩れたら……と。
私の身に起きたのは、まさに、そのことでした。
庭の手入れは毎年同じくらい、は運が悪かったのではなく、去年の紙と並べなかった私の無知でした
自分の弁護をするわけではないですが、念のため、聞いてください。
私は、きちんと準備をしていました。
去年の見積の紙を、ちゃんと取ってありました。
今年の紙が来たら、すぐ並べて、差を見ました。
今年は5万2,800円、去年は4万3,000円。
差は、9,800円です。
月にならすと、およそ800円。
これは計算で、実際に出ていく額ではないですけれど。
取ってあった紙を並べて、確かめる人は、こうはならないはず。
そう思いませんか?
それでも、崩れたんです。
なぜなら、紙に載っていない追加が、口頭で乗ってきたから。
そして、お金の出ていく速さが、私が思っていたより、ずっと早かったから。
予定として思い描いていたのは、こうです。
去年と、だいたい同じ額。
紙に書いてある分だけ、払えばいい。
支払いは、年金の振込のあとで、いい。
そうでしょう?
一つずつ、順番に、払っていけばいいと思っていました。
でも、現実は違いました。
今年の紙の5万2,800円と、
口頭の落ち葉の処分の追加と、
年金の振込より先の、支払いの希望日が、
同じ縁側の上に、一度に乗ったんです。
しかも、私に入ってくるお金は、
公民館の受付の、週2日の分だけです。
働いた日の分だけが、お給料です。
夫の年金も、振り込まれる日は、決まっています。
松もツバキも、秋になれば、手が要ります。
入ってくる日を待ってくれるのは、私の都合だけで、
庭の日付は、待ってくれません。
あなたは、紙に載っていない追加が、帰りぎわに口頭で乗るのを、経験したことがありますか?
本来なら、、本来なら、ですよ。
秋に、庭がきれいに整うのは、嬉しいことのはずです。
そして、
本来なら、、本来なら、ですよ。
毎年、手を入れに来てくださる方がいるのだって、
本当に、ありがたいことのはずなんです。
これも、わかっています。
けれど、私の中では、もう、どちらも辛い出来事になっていました。
少なくとも、笑って「ありがとうございます」と、言えませんでした。
顔は、笑っていたかもしれません。
でも、心の中では泣いていました。腹が立っていました。
「なんでアンタたちに。」
毎年、手がかかる、松とツバキとモチノキに、そう思っていました。
「私の都合、わかってんの?」と、思っちゃっていました。
でも、同時に。
「ごめんね。ごめんね。手がかかる木にして。こんな持ち主で。許してね。」
同じ木たちに、そう言って泣いていました。
なぜだか、わかりますか?
理由は、単純なことで、お金でした。
お金を、使いすぎたわけじゃない。
毎年同じように、庭の手入れを頼んできただけなんです。
でも、予定していたよりも、お金が出ていく速度が、早かったんです。
たったこれだけ。
これで、私は、植木屋さんに冷たい言葉を向ける、悪人になりました。
この構図ができてしまうと、9,800円の差は、
ただの「去年の予定を超えた分」になります。
抜け道は、三つ、考えてみました。
自分でやればと思っても、紙の5万2,800円と去年との差の9,800円は、印字されたままです
一つ目は、自分でやることでした。
あの日、いちばん最初に浮かんだ言葉が、「自分でやれ」です。
世間の人に聞いたら、きっと、こう言うでしょう。
「庭木くらい、自分で切ればいいじゃない。」と。
私も、そう思いました。
縁側に座って、松とツバキとモチノキを、ながめながら。
でも、手元の見積を、もう一度見ました。
5万2,800円と、去年の4万3,000円。
差は、9,800円。
自分でやると決めても、
紙に印字された9,800円の差は、消えません。
安くしてほしいと言いかけても、植木屋さんは「人件費が上がって」と言い、支払い希望日のメモは残ったままです
二つ目は、安くしてもらうことでした。
「安くしろ」は、世間でいちばんよく聞く言葉です。
私も、自分に、何度も言いました。
お願いしたら、少しは、と。
でも、植木屋さんは、「人件費が上がって」と、言ったんです。
その言葉に、去年の予定は、通用しません。
そして、メモには、支払いの希望日が、残っています。
その日付は、次の年金の振込より、先です。
安くしてもらえたとしても、
5万2,800円を、まだ払っていないという事実は、変わりません。
来年に延ばせばと思っても、今年の庭の日付は来るし、口頭の追加も合計に乗ります
三つ目は、来年に延ばすことでした。
「来年に延ばせ」と言われなかった人は、いないと思います。
でも、延ばすって、今年の庭を、そのままにすることです。
松もツバキも、秋になれば、同じように手が要ります。
今年の庭の日付は、来ます。
口頭で乗った追加も、合計を、押し上げます。
縁側の見積と、
口頭の追加と、
年金の振込日。
並べると、支払いが、先でした。
三つとも、無力でした。
少しだけ、ご自分に当てはめてみてください
・私は、植木屋さんの帰りぎわに、落ち葉の処分の追加が口頭で乗ったのに、紙の5万2,800円にはその追加が入っていませんでした。
・今年の見積5万2,800円と、去年の4万3,000円を縁側で並べたら、差は9,800円で、月にならすとおよそ800円でした。
・見積のメモにある支払いの希望日が、次の年金の振込より先だとわかって、私は、払う順番が逆だと気づきました。
見積を通帳のように並べて、去年の紙のままだと思っていた自分を、無知なバカだと思いました
通帳を開くように、見積とメモを開きます。
入ってくるのは、公民館の受付の、週2日のお給料と、年金の振込。
出ていくのは、5万2,800円の見積と、口頭の追加。
入ってくるお金より、出ていく速さのほうが、早い。
通帳でも、見積でも、同じ形が、そこにありました。
あなたは、去年と同じだと思っていた庭の手入れが、思っていたより重く来るのを、見たことがありますか?
毎年のことだからと、安心している時は、
「今年もお願いします」と言えば、それで済むと思っていました。
そのときの自分を、今思うと、
ただの無知なバカに見えて、仕方がありません。
どうして、あの時、気づかなかったのか。本当に、バカでした。
今年の見積は、5万2,800円です。
去年は4万3,000円で、差は9,800円です。
「植木屋 費用」と打った検索画面は、顔を出す庭仕事の話と、毎日手入れを比べる話ばかりでした
そんな時、私に、転機が訪れました。
見積のあと、スマホで調べたんです。
「植木屋 費用」「庭木 剪定」と、打ってみました。
出てきたのは、顔を出して庭仕事を語る人の話と、
毎日、手入れの値段を比べる話でした。
うさんくさい、と思いました。
どれも、振込より先の支払い日を、年金の日までは延ばしてくれません。
聞いて、閉じて、やめかけました。
探していたのは、剪定の手順ではないんです。
振込より先の支払い日を、自分の側で見ておけるもの。
そんな中に、庭仕事でも、節約でもない、
お金を「増やす」話が、一つだけ混ざっていました。
「そうか。副業か。」と、ほんの一瞬、思いました。
でも、すぐに、「いえいえ」と、打ち消しました。
副業なんて、若い人たちのものでしょう。
公民館の受付を週2日している、64歳の私には、向かない。
そう思ったんです。
毎年同じ庭を頼んできたのは、こんな口頭の追加のためじゃありません
だって、そうでしょう?
今さら勉強するなんて、気恥ずかしいです。
そうならないように、毎年、決まった方にお願いして、
我慢するところは我慢して、堅実にやってきたんです。
今さら副業に手を出したら、
これまでのやり方を、「間違いでした」と認めることになる。
そんな気がしました。
……でも、
この9,800円高い見積を、また置いておくだけなのか。
5万2,800円は、去年の4万3,000円には戻っていません。
そんな言葉が、頭をよぎったんです。
人並み以上に、きちんと頼んで、きちんと払ってきたのに、足りなかった。
去年の紙を取っておいた、几帳面さも、足りなかった。
欲しいものも、わがままも、しまい込んで、
ちゃんとした大人でいたのに。
今年の見積は、5万2,800円です。
去年は4万3,000円で、差は9,800円です。
なんだったのでしょう、私のやり方は。
なんだったのでしょう、「毎年同じくらい」と信じた私は。
腹が立ちました。
人件費が上がったという、世の中にも。
紙に載せずに、口頭で乗せた追加にも。
「安くしろ」としか言わない、世間にも。
今年の見積は、5万2,800円です。
去年は4万3,000円で、差は9,800円です。
笑いたい人は、笑ってください。
「その歳で、何を」と言われても、かまいません。
64歳になって、はじめて、私のために生きると決めました
もう、誰かのために「ちゃんとした人」を続けるのは、やめにします。
私は、私のために生きる。
私の人生ですもの、それでいいはずです。
認めます。
64年、自分のための人生を、ほとんど選んでこなかったと思うんです。
毎年、決まった方にお願いして、決まった額を、決まった日に。
自分のために、思い切って笑うことも、あまりしてきませんでした。
そして、気持ちのうえでは、裸一貫です。
ここから、もう一度、再スタートします。
他の誰でもない、私のために。
そう、決めました。
副業を遠ざけてきたのは、紙の額が確かだと信じていたからです
そこから、お金を増やす話を、もう一度、きちんと見ました。
笑われてしまいますね。
私は、副業なんて絶対にしない人間だと思っていましたから。
胡散臭い、と遠ざけていました。
若い人のものだと、決めつけていました。
紙の額どおりに払って、逃げ切るつもりでした。
私は堅実なほうだ、と思っていました。
でも、その全部を、手放しました。
理由は、お金が足りなかったからです。
守りたかったのは、夫と私の毎日の暮らしと、
毎年手入れをしてきた庭と、自分の気持ちでした。
紙の額どおりに払うだけでは、足りなかった。情けない話ですが、本当です。
お金は大事だとわかっていたのに、増やす話からは、目をそらしていました
いちばん悔やむのは、お金を「増やす」ことから、遠ざかっていたことです。
〇:お金を貯金する
〇:慎ましい生活をする
〇:先を見据えてお金を残す
これが、堅実で、賢い暮らし方だと思っていました。
でも、今だからこそ、わかります。
これは、飼い殺しにされる生き方でした。
ここまでお読みの、ほとんどの方に、当てはまることでしょう。
私は、去年の紙まで取っておいた、堅実なほうの人間だからです。
今年の見積は5万2,800円で、去年より9,800円高いままです
値上がりは、こちらの都合を、待ってくれません。
しかも、自分では止められないところから、来ます。
去年と同じと思っていた庭の手入れは、5万2,800円の見積の前で、崩れました。
もっと早く、お金を増やすことを、考えておけばよかった。
「きちんと暮らす」の中身を、見直しておけばよかった。
昔の自分を、呪って、呪って、呪って。
悔しくて、悔しくて、
その言葉ばかり、ずっと、ずっと、考えていました。
64歳でも、怖くても、いまが人生でいちばん若い日です
怖かったんです、本当に。
64歳で、知識もなくて。
今さら、若い人たちの中で、始めるなんて。
それでも、私は進む道を選びました。
ここまで読んでくださったなら、あなたが何歳でも、
「進んでください」と、お伝えしたいです。
なぜなら、あなたの人生で一番若い瞬間は、いまだからです。
あなたの人生を支えるのは、
国でも、自治体でも、家族でも、身近な誰かでもなく、
「あなた自身」だけなんです。
そこから目をそらしていたことを、受け入れることにしました。
受け入れても、楽ではなかったですが。苦笑
怖くても、進みます。
物販、当然無理です。
むしろ、何を売ったらいいのか。そんなことすら想像がつきませんでした。
転売、当然無理です。
まず在庫を抱えるお金もないし、在庫を置くスペースもありません。
アフィリエイト、当然無理です。
まずSNSやブログで、記事を大量に用意したり投稿を大量に用意する時点で無理です。
SNSの運用代行なども当然無理です。
そもそも最新のSNSの動向を追い続けないといけない時点で無理でした。
FXやトレード、当然無理です。
グラフの上がり下がりとかを読む、ローソク足がとか、そんなことの全てに吐き気を感じました。
YouTubeがいいだとか、TikTokがいいだとか、
そんな話も大量に聞きました。
当然無理です。そもそも、これらは若い人との勝負な訳で、私にはできる気がしませんでした。
そして、最新のAIも無理でした。
AIって聞いたら楽な話に聞こえるじゃないですか。
でも、すでにAIが楽な時代は終わっていて、ClaudeコードだのCodexだの、よくわからない構造体がたくさんあって、
これを管理できる頭が必要で、かつ、API(使った分だけ、お金がかかる)仕組みの中での話でした。
知識もないのに、いきなり使った分だけお金がかかる。。これって怖くないですか?
その辺の若造から、何度も『使った分だけしかお金がかからないから大丈夫ですよ。』なんて言われたのですが、
実際、私の知人はその話を鵜呑みにした結果、10万以上の請求をされていました。
AI、怖い。
またしても、、、
またしても、光を奪われるのか。
せっかく「人生で初めて、私の人生を生きるんだ。」と決められたのに。
決心は、年齢によって潰されるのか。。。
そうがっかりしていました。
そんな中で、たった1人だけ
〇:競争なんてしなくていい
〇:顔出しもしなくていい
〇:在庫も抱えなくていい
〇:隙間時間でコツコツしたらいい
〇:才能も知識もいらない
〇:老若男女とわない
というスタイルで、運営している人を見つけました。
最初は、あまりにもウマイ話に見えてしまって、正直私は毛嫌いしていました。もっとも遠ざけていた人といっても過言ではないです。
ただ、先ほども書いたとおり、
巷の副業は、全て無理でした。
物販も転売も、
アフィリエイトも、
SNSの運用代行も、
FXやトレードも、
YouTubeもTikTokも、
全部「無理」です。
私にそんな能力なんてありません。
新しい能力を身につけず、お金を稼ぐ必要がありました。
これが、私がその人から学ぶことを決意した理由です。
あなたはどうでしょう。
・新しいことを学べますか?
・新しいAIを使って、最先端のことで、若い世代と戦えますか?
・トレードなどの複雑なグラフを見れますか?
・転売ヤーと揶揄されながら、仕入れ活動に奔走できますか?
もし、これらが無理なら、あなたは私と同じです。
競わず・新しい能力をつけず・過去の積み上げたもので、なんとか食っていく必要がある。
そんな立場の人です。
その立場の人にとって、私が学んだ人は最適です。
なぜなら、こんなことを言っていたからです。
(1)努力は1度でいい
(2)元手不要、在庫抱えなくていい
(3)才能不要、実績不要、年齢も問わない
と。
さらにこんな事も言ってました。
毎日の労働は、川(会社)に、カバンというバケツを持って水を汲みにいく作業だ。と。
でも、バケツだからこそ手を止めたら終わりだし、バケツを取り上げられたら終わりである。
これがクビという現象であり、毎日の出社が必然とされているわけだが、
もし、ここで水路を作れたらどうだろう。
水路を作ったら、水道を作ったら、蛇口を撚れば水が出る。そんな構造が完成する。
もし、あなたがバケツ・一生労働型でいいならそれもいい。
ただ、水道を作ったら、水路を作ったら、あなたは一生の苦悩から解放される。と。
さて。ここであなたに問います。
今、あなたは、どんな気持ちでこの文章を読んでいるでしょう。
少なくない人が、心にガードをして読んでいるはずです。
昔の私も同じでした。
ただ、自分が同じだったからこそ、あえて言わせてください。
「あなたは、バカですか?」と。
なぜなら、私は、飼い殺しにされてきた自分の人生を後悔しているからです。
私は、挑戦をしないことを堅実だと思っていました、
息を潜めて、手のひらに乗る幸せを、必死に握りしめて、
1粒たりとも、幸せの砂をこぼさない生き方をすること。
これが、いい大人になることだと思っていました。
これが、賢く生きるってことだと思っていました。
でも、私は、そんな「賢く生きる」というイメージに、人生を潰されかけかけました。
というか、潰されました。
今だから思います。
「お金が大事だとわかってるくせにお金に直視するのを避けてる自分」を殺してよかったと。
なぜなら、働いている段じゃないからです。
64歳で、公民館の受付を、週2日しています。夫は66歳で、年金暮らしです。
植木屋さんの見積は、今年5万2,800円。去年は4万3,000円。差は9,800円です。
「人件費が上がって」と言われて、「お願いします」と頭を下げました。紙の5万2,800円と、差の9,800円は、印字されたままです。
となった時、私は「時間を使わず、お金を得る」ことを絶対に習得すべきでした。
ってことを書いているのに、
「心をガードして、斜に構えている」とするなら。
それは、ね。
バカですよ。
理由?理由はあります。ちゃんとあります。
日本海溝より深い理由があります。
なぜなら、人生は短いからです。
考えてみてください。
あなたの大切な人との時間、刻一刻と減っています。
あなたの人生も、毎日終わりに向かって進んでいます。
本当に、大事にすべきことは、ここでは?
お金が全てではない。
そんなこと当然知っています。
でも、だから稼ぐんですよ。
なぜなら、お金がないことで、
「残りあとわずかな、あなたと・大事な人との人生」を潰すからです。
棒に振るってしまうからです。
お金がないから、治療費を削ります。
お金がないから、介護代を削ります。
お金がないから、施設に入れて上げられないです。
・・・ね。
お金が全てではない。って言ってるあなた。
あなたは、その言葉の裏で「大事な人へのベストな選択肢」を捨ててるんです。
これって、悲しくない?
そう考えた時、私は、人生を変えたい。
こんな人生リセットしたい。
そう強く思いました。
ちなみに、私が学ぶことを決意した人のメールはこれです。
毎月、リアルでの作業会もしていらっしゃいます。
ネットの虚像・虚構ではなく、生身で会える・嘘偽りのない人です。
きっかけをくれた人のメールを、
同じように読むことができます。
この文章を書いた理由
いま私は、自分の苦しかった過去を踏まえて、もう2度と昔の私のような人を出さないための活動をしています。
私は、過去の私を強く恥じています。
後悔しています。
「人件費が上がって」を聞いたとき、「自分でやれ」が先に浮かんだことを、恥じています。
今年は5万2,800円。去年は4万3,000円。差の9,800円は、印字されたままです。
「ありがとうございます」とは言えないまま、見積の紙は手元にあります。
だから、見積をしまったままにしないで、植木屋さんの前で言える自分でいたい。そう思っています。
この、当たり前のことを当たり前にできない社会です。
だったらせめて、私が手を伸ばせる人には伸ばしたい。
自分が辛かったからこそ、これをちゃんと叫びたい。そう思っています。
ほとんどの場合、あなたは昔の私と同じように
「バケツ型」の人生のはずです。
一度でいいから、本気で「もし、水路的な」お金が入ったら。と心の底から強く思ってみてください。
もし、雇われず・国に、会社に、他人に頼らず、
3万でも、5万でも10万でも入っていたら。と。
決して、私は大金持ちになりたいとは思わないです。
でも、、、
もし、朝起きたら、10万、20万とか入っていたら。と。
もし、そんな奇跡が毎月、毎日、続いたら・・と。
こっちの人生は、心の底から欲しいと思います。
なぜなら、そんな毎日が続いたら、
大切な人との時間を、
大切な人の「もしも」を、
この手で、大事にすることができるからです。
頑張って就職をして、子育てをして、ようやく自由が。
そんな時に、また新たなお世話問題が。
そんなことでまた人生を費やす。こんなバカなことがあっていいのでしょうか。
バカなことって書いたら言葉が悪いですが、でも、そうでしょう?
だって私たちの人生は、私たちのものなんだから。
私たちは、家族の世話のために生まれたんじゃなくて、私たちの人生を生きるために生まれてきてるんです。
これも、きっかけをくれた人の受け売りなんですけどね。笑
でも、そうだと思うんです。
私たちの人生を、私たちの手に取り戻す。
この当たり前の幸せを手放さないために。
その気持ちで、きっかけをくれた人との運営に力を注いでいます。
この文章が、少しでも多くの人の希望になったら嬉しいです。
和恵
もう一度だけ。
きっかけをくれた人のメールは、
こちらから読めます。