敦子のブログ「衣替えで値札付きの服が4枚・去年の服は21枚5万8,400円」から来てくださった方へ
1枚は、およそ2,800円。去年1年で、21枚。5万8,400円でした

4枚 1万1,560円

袖 まだ通していない

収納の奥から、値札の付いた服を4枚出して足したら、1万1,560円になった時、 私は、、、 目の前が真っ暗になりました。

まず、恥ずかしい告白を、させてください。

収納の奥から、一度も袖を通していない服を、4枚、出しました。
カーディガン、ブラウス、スカート、長袖Tです。

安いものを選んだつもりでした。
値札は、どれも付いたままです。
その4枚の値札を足すと、1万1,560円でした。

その週に、必需品の値上げのレシートを、隣に並べました。
服を買うのを我慢して、減らしたはずの支出が、
値上げで、また元の水準に戻っていました。

そのとき、私の頭に最初に浮かんだ言葉は、「捨てろ」でした。
次が「売れ」で、その次が「買うな」です。

自分で選んで、自分で買ってきたはずの服に、
私は、そんな冷たい言葉を向けていたんです。
服は、何も悪くないのに。

ですが、何よりも堪えたのは、
値札1万1,560円の4枚を前に、冷たい気持ちになった自分がいたことでした。

こんにちは、敦子です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

62歳です。
給食センターで、調理の仕事を、週4日しています。

ブログの記事は、紛れもない私の実体験なんです。
そして、同じ年代の、私の周りの仲間にも、起きていることです。

一度も袖を通していない4枚の服の値札が、合わせて1万1,560円で収納から出てきたことはありますか?

安い服のことで冷たくなるなんて、大げさで、不謹慎に聞こえるかもしれません。
服のことで自分が嫌になるなんて、と、思われても仕方がないと思います。

でも、実際に私の身に起きたからこそ、
敢えて言わせていただきたいんです。

まだ先のことだろう、と。

そんなふうに、思っていらっしゃいませんか。

私も、そう思っていたんです。
困るのは、もっとあと。この4枚ではない、と。

もし、そうお考えでしたら。
あなたの未来は、もしかしたら予想よりも暗いものかもしれません。

だって、この世の中は、
私たちが身構えていないところへ、ちゃんとリスクが来るようにできているんです。

少なくとも、私は、自分の身を呪いました。
自分の浅はかさを呪いました。
呪って、呪って、値札の1万1,560円を、ずっと見ていました。

考えてみてください。

安いものを選べば、大きく崩れることはない。
買いすぎなければ、家計は守れる。

これは、世間でいう、いちばん手堅い考え方ですよね。

信じていたことは、この三つでした。

・安い服なら、何枚でも大丈夫。
・買わなければ、支出は減る。
・値札が付いたままなら、まだ使っていないから、家計の外。

そうでしょう?
高い服を一枚買うより、安い服を数枚。そのほうが、ちゃんとした選び方です。

私は、その「予定」の中で、安心していたんです。

ですが、考えてみていただきたいんです。

この「予定」が、もし崩れてしまったら……と。

私の身に起きたのは、まさに、そのことでした。

安い服なら何枚でも大丈夫、は運が悪かったのではなく、値札を足さなかった私の無知でした

自分の弁護をするわけではないですが、念のため、聞いていただけますか。

私は、ちゃんと準備をしていたんです。

買う前に、安いかどうかを、いつも確かめていました。
去年の分は、21枚、合計5万8,400円と、数えるところまでしていました。

月にならすと、およそ5,000円です。
これは計算で、実際に出ていった額ではないんですけれど。

数えて、確かめて、安いものを選ぶ人は、こうはならないはず。
そう思いませんか?

それでも、崩れたんです。

なぜなら、値札の付いた4枚の隣に、必需品の値上げのレシートが来たから。
そして、お金の減る速さが、私が思っていたより、ずっと早かったから。

思い描いていたのは、こうです。

服は安いものだから、何枚買っても、傷は浅い。
買わない週が続けば、支出は、ちゃんと減る。

そうでしょう?
一つずつ、小さな出費を、減らしていけばいいと思っていました。

でも、現実は違いました。

値札の付いた4枚の1万1,560円と、
その週の必需品の値上げのレシートと、
去年の21枚の5万8,400円が、
同じテーブルの上に、一度に乗ったんです。

しかも、私に入ってくるお金は、
給食センターの調理の、週4日の分だけです。

働いた日の分だけが、お給料です。
買わない週を作っても、入ってくるお金は、増えません。

服を買わなかった週でも、
必需品の値上げは、容赦なく来ます。
減らしたはずの支出が、元の水準に、戻ってしまうんです。

あなたは、我慢して減らした支出が、値上げで元に戻るのを、見たことがありますか?

本来なら、、本来なら、ですよ。

新しい服は、袖を通す日が楽しみなもののはずです。

そして、

本来なら、、本来なら、ですよ。

安く買えたことだって、「得しちゃった」と、笑っていいはずなんです。
これも、わかっています。

それなのに、私の中では、もう、どちらも辛い出来事になってしまっていたんです。

少なくとも、笑って服のタグを切ることが、できませんでした。

顔は、笑っていたかもしれません。
でも、心の中では泣いていました。腹が立っていました。

「なんでアンタたちに。」
値札の付いた、その4枚に、そう思っていました。

「私の財布、わかってんの?」と、思っちゃっていました。

でも、同時に。

「ごめんね。ごめんね。袖も通してあげなくて。こんな持ち主で。許してね。」
同じ4枚に、そう言って泣いていました。

なぜだか、わかりますか?

理由は、とても単純で、お金なんです。

お金を使いすぎたわけじゃない。
安いものを、選んできたんです。

ですが、予定していたよりも、お金の減る速度が、早かったんです。

たったこれだけ。

これで、私は、自分の服に冷たい言葉を向ける、悪人になりました。

「入ってくるお金 < 当初よりも減る速度が速いお金」

この構図ができてしまうと、1万1,560円の4枚は、
ただの「値札の付いた、使っていないお金」になります。

逃げ道を、三つ、考えてみました。

捨てればいい、と値札の付いた4枚を手に取っても、1万1,560円は戻ってきませんでした

一つ目は、捨てることでした。
あの日、いちばん最初に浮かんだ言葉が、「捨てろ」です。

世間の人に聞いたら、きっと、こう言うでしょう。
「着ない服なんか、さっさと処分したらいいじゃない。」と。

私も、そう思いました。
値札の付いたまま、袋に入れて、出してしまえば、片づきます。

でも、手が止まりました。

袋に入れても、1万1,560円は、戻ってきません。
値札は、まだ付いたままです。

捨てて片づくのは、収納のすきまだけ。
払ったお金は、片づかないんです。

売ろうと考えても、4枚はまだ収納の中で、1万1,560円は戻っていませんでした

二つ目は、売ることでした。
「売れ」は、片づけの話で、いちばんよく見る言葉です。

私も、自分に、何度も言いました。
値札が付いているうちに、売ったほうがいい、と。

でも、今、その4枚は、収納の中にあります。
1万1,560円は、戻っていません。

売るために、出して、並べて、やり取りをして。
その手間の時間は、給食センターの調理で働いた日の分には、数えられません。

考えているだけでも、時間は進みます。
値上げのレシートは、待ってくれないんです。

買わないと決めても、必需品の値上げで、その週の支出は元の水準に戻っていました

三つ目は、もう買わないことでした。
「買うな」と言われなかった人は、いないと思います。

でも、買わないって、服の出費をゼロにすることです。
ゼロにしても、その週の支出は、元の水準に戻っていました。

必需品の値上げは、
服を買わなくても、来るからです。

次の衣替えも、季節どおりに来ます。
次のお給料日も、週4日の前提で、来ます。

入ってくるお金は、増えていません。
増えていないのに、「買うな」という言葉だけが、増えました。

三つとも、無力でした。

少しだけ、ご自分に当てはめてみてください

・私は、収納の奥から、一度も袖を通していない服を4枚出して、値札を足したら、合計が1万1,560円になりました。

・服を買うのを我慢した週に、必需品の値上げのレシートを並べたら、減らしたはずの支出が、元の水準に戻っていました。

・去年の分を、はじめて数え直したら、21枚で合計5万8,400円になっていて、月にならすとおよそ5,000円でした。

値札とレシートを通帳のように並べて、安いからと足さなかった自分を、無知なバカだと思いました

通帳を開くように、値札とレシートを並べます。

入ってくるのは、給食センターの調理の、週4日のお給料。
出ていくのは、値札の1万1,560円と、必需品の値上げの分。

入ってくるお金より、出ていく速さのほうが、早い。
通帳でも、値札でも、同じ形が、そこにありました。

あなたは、安いからと選んだ服が、お金の重さになるのを、見たことがありますか?

買っている時は、すごくウキウキでした。
「これも安い」と、かごに入れるたびに、嬉しかったんです。

そのときの自分を、今思うと、
ただの無知なバカに見えて、仕方がありません。

どうして、あの時、気づかなかったのでしょう。バカでした。

値札は、4枚で1万1,560円です。
服を買わない週でも、必需品の値上げで支出は同じラインに戻っていました。

「プチプラ 服」と打った検索画面は、顔を出す片付けの話と、毎日服を選ぶ話ばかりでした

そんな時、私に、転機が訪れました。

値札のあと、スマホで調べたんです。
「プチプラ 服」「衣類 断捨離」と、打ってみました。

出てきたのは、顔を出して片づけを語る人の話と、
毎日、着る服を選ぶ話でした。

うさんくさい、と思いました。
どれも、同じ水準に戻る支出を、値札の外へは出してくれません。
広げて、閉じて、やめかけました。

探していたのは、服の捨て方ではないんです。
同じ水準に戻る支出を、自分の側で見ておけるもの。

そんな中に、片づけでも、節約でもない、
お金を「増やす」話が、一つだけ混ざっていました。

「そうか。副業か。」と、ほんの少しだけ、思いました。

でも、すぐに、「いやいや」と、打ち消しました。

副業なんて、若い人たちのものでしょう。
給食センターで週4日働く、62歳の私には、向かない。
そう思ったんです。

安いものを選び続けてきたのは、値札の付いた4枚のためじゃありません

だって、そうでしょう?

今さら勉強するなんて、気恥ずかしいです。
そうならないように、安いものを選んで、
我慢するところは我慢して、堅実にやってきたんです。

今さら副業に手を出したら、
これまでの選び方を、「間違いでした」と認めることになる。
そんな気がしました。

……でも、

この1万1,560円の値札を、また収納に戻すだけなのか。
4枚は、一度も袖を通していません。

そんな言葉が、頭をよぎったんです。

人並み以上に、安く済ませてきたのに、足りなかった。
去年の21枚を数えるほどの、几帳面さも、足りなかった。

欲しいものも、わがままも、あとまわしにして、
きちんとした大人でいたはずなのに。

値札は、4枚で1万1,560円です。
服を買わない週でも、必需品の値上げで支出は同じラインに戻っていました。

なんだったのでしょう、私の選び方は。
なんだったのでしょう、「安ければ大丈夫」と信じた私は。

腹が立ちました。

値上げをしてきた、世の中にも。
値札の付いたまま眠っていた、4枚にも。
「買うな」としか言わない、世間にも。

値札は、4枚で1万1,560円です。
服を買わない週でも、必需品の値上げで支出は同じラインに戻っていました。

笑いたい人は、笑ってください。
「その歳で、何を」と言われても、かまいません。

62歳になって、はじめて、私のために生きると決めました

誰かのために「ちゃんとした人」でいることは、もう、やめにします。

私は、私のために生きる。
私の人生なのですから、それでいいと思うんです。

認めます。
62年、自分のための人生を、ほとんど選んでこなかったと思うんです。

安いもの、安いものと選んで、いつも、家計のために。
自分のために、堂々と笑うことも、あまりしてきませんでした。

そして、気持ちのうえでは、裸一貫になりました。
ここから、やり直します。

他の誰でもない、私のために。
そう、決めました。

副業を遠ざけてきたのは、買わなければ減ると信じていたからです

そこから、お金を増やす話を、もう一度、きちんと見ました。

笑われてしまいますね。
私は、副業なんて絶対にしない人間だと思っていましたから。

胡散臭い、と遠ざけていました。
若い人のものだと、決めつけていました。
買わずに済ませて、逃げ切るつもりでした。
私は堅実なほうだ、と思っていました。

でも、その全部を、手放しました。
理由は、お金が足りなかったからです。

守りたかったのは、自分の毎日の暮らしと、
安いものを選び続けてきた自分の手と、自分の気持ちでした。

買わないだけでは、足りなかった。情けない話ですが、本当です。

お金が大事だとわかっていたのに、増やす話からは、目をそらしていました

いちばん悔いているのは、お金を「増やす」ことから、目をそらしていたことです。

〇:お金を貯金する
〇:慎ましい生活をする
〇:先を見据えてお金を残す

これこそが、堅実で賢い生き方だと思っていました。

けれど、いまになってわかったんです。

これは、飼い殺しにされる生き方でした。

ここまで読んでくださった方の多くに、当てはまることだと思うんです。

私は、去年の21枚を、数え直すほど、几帳面に節約してきた人間だからです。

袖を通していない4枚の値札は、合わせて1万1,560円です

値上げは、こちらの都合を、待ってくれません。
しかも、自分では止められないところから、来ます。

「入ってくるお金 < 当初よりも減る速度が速いお金」

安く済ませれば足りると思っていた暮らしは、値札1万1,560円の4枚と、必需品の値上げの前で、崩れました。

もっと早く、お金を増やすことを、考えておけばよかった。
「賢く選ぶ」の中身を、見直しておけばよかった。

昔の自分を、呪って、呪って、呪って。
悔しくて、悔しくて、
その言葉ばかり、ずっと、ずっと、考えていました。

62歳でも、怖くても、いまが人生でいちばん若い日です

怖かったんです、本当に。

62歳で、知識もなくて。
今さら、若い人たちの中で、始めるなんて。

それでも、前へ進む方を選びました。

ここまで読んでくださったなら、あなたが何歳でも、
「進んでください」と、お伝えしたいです。

なぜなら、あなたの人生で一番若い瞬間は、いまだからです。

あなたの人生を支えるのは、
国でも、自治体でも、家族でも、身近な誰かでもなく、
「あなた自身」だけなんです。

そこから目をそらしていたことを、受け入れることにしました。

受け入れても、楽ではなかったですが。苦笑

怖くても、進みます。

物販、当然無理です。

むしろ、何を売ったらいいのか。そんなことすら想像がつきませんでした。

転売、当然無理です。

まず在庫を抱えるお金もないし、在庫を置くスペースもありません。

アフィリエイト、当然無理です。

まずSNSやブログで、記事を大量に用意したり投稿を大量に用意する時点で無理です。

SNSの運用代行なども当然無理です。

そもそも最新のSNSの動向を追い続けないといけない時点で無理でした。

FXやトレード、当然無理です。

グラフの上がり下がりとかを読む、ローソク足がとか、そんなことの全てに吐き気を感じました。

YouTubeがいいだとか、TikTokがいいだとか、

そんな話も大量に聞きました。

当然無理です。そもそも、これらは若い人との勝負な訳で、私にはできる気がしませんでした。

そして、最新のAIも無理でした。

AIって聞いたら楽な話に聞こえるじゃないですか。

でも、すでにAIが楽な時代は終わっていて、ClaudeコードだのCodexだの、よくわからない構造体がたくさんあって、

これを管理できる頭が必要で、かつ、API(使った分だけ、お金がかかる)仕組みの中での話でした。

知識もないのに、いきなり使った分だけお金がかかる。。これって怖くないですか?

その辺の若造から、何度も『使った分だけしかお金がかからないから大丈夫ですよ。』なんて言われたのですが、

実際、私の知人はその話を鵜呑みにした結果、10万以上の請求をされていました。

AI、怖い。

またしても、、、

またしても、光を奪われるのか。

せっかく「人生で初めて、私の人生を生きるんだ。」と決められたのに。

決心は、年齢によって潰されるのか。。。

そうがっかりしていました。

そんな中で、たった1人だけ

〇:競争なんてしなくていい

〇:顔出しもしなくていい

〇:在庫も抱えなくていい

〇:隙間時間でコツコツしたらいい

〇:才能も知識もいらない

〇:老若男女とわない

というスタイルで、運営している人を見つけました。

最初は、あまりにもウマイ話に見えてしまって、正直私は毛嫌いしていました。もっとも遠ざけていた人といっても過言ではないです。

ただ、先ほども書いたとおり、

巷の副業は、全て無理でした。

物販も転売も、

アフィリエイトも、

SNSの運用代行も、

FXやトレードも、

YouTubeもTikTokも、

全部「無理」です。

私にそんな能力なんてありません。

新しい能力を身につけず、お金を稼ぐ必要がありました。

これが、私がその人から学ぶことを決意した理由です。

あなたはどうでしょう。

・新しいことを学べますか?

・新しいAIを使って、最先端のことで、若い世代と戦えますか?

・トレードなどの複雑なグラフを見れますか?

・転売ヤーと揶揄されながら、仕入れ活動に奔走できますか?

もし、これらが無理なら、あなたは私と同じです。

競わず・新しい能力をつけず・過去の積み上げたもので、なんとか食っていく必要がある。

そんな立場の人です。

その立場の人にとって、私が学んだ人は最適です。

なぜなら、こんなことを言っていたからです。

(1)努力は1度でいい

(2)元手不要、在庫抱えなくていい

(3)才能不要、実績不要、年齢も問わない

と。

さらにこんな事も言ってました。

毎日の労働は、川(会社)に、カバンというバケツを持って水を汲みにいく作業だ。と。

でも、バケツだからこそ手を止めたら終わりだし、バケツを取り上げられたら終わりである。

これがクビという現象であり、毎日の出社が必然とされているわけだが、

もし、ここで水路を作れたらどうだろう。

水路を作ったら、水道を作ったら、蛇口を撚れば水が出る。そんな構造が完成する。

もし、あなたがバケツ・一生労働型でいいならそれもいい。

ただ、水道を作ったら、水路を作ったら、あなたは一生の苦悩から解放される。と。

さて。ここであなたに問います。

今、あなたは、どんな気持ちでこの文章を読んでいるでしょう。

少なくない人が、心にガードをして読んでいるはずです。

昔の私も同じでした。

ただ、自分が同じだったからこそ、あえて言わせてください。

「あなたは、バカですか?」と。

なぜなら、私は、飼い殺しにされてきた自分の人生を後悔しているからです。

私は、挑戦をしないことを堅実だと思っていました、

息を潜めて、手のひらに乗る幸せを、必死に握りしめて、

1粒たりとも、幸せの砂をこぼさない生き方をすること。

これが、いい大人になることだと思っていました。

これが、賢く生きるってことだと思っていました。

でも、私は、そんな「賢く生きる」というイメージに、人生を潰されかけかけました。

というか、潰されました。

今だから思います。

「お金が大事だとわかってるくせにお金に直視するのを避けてる自分」を殺してよかったと。

なぜなら、働いている段じゃないからです。

62歳で、給食センターの調理を、週4日しています。

一度も袖を通していない服が4枚。値札を足すと、1万1,560円です。去年は21枚で、合計5万8,400円。月にならすと、およそ5,000円です。

頭に浮かんだのは「捨てろ」でした。1万1,560円は、戻ってきていません。

となった時、私は「時間を使わず、お金を得る」ことを絶対に習得すべきでした。

ってことを書いているのに、

「心をガードして、斜に構えている」とするなら。

それは、ね。

バカですよ。

理由?理由はあります。ちゃんとあります。

日本海溝より深い理由があります。

なぜなら、人生は短いからです。

考えてみてください。

あなたの大切な人との時間、刻一刻と減っています。

あなたの人生も、毎日終わりに向かって進んでいます。

本当に、大事にすべきことは、ここでは?

お金が全てではない。

そんなこと当然知っています。

でも、だから稼ぐんですよ。

なぜなら、お金がないことで、

「残りあとわずかな、あなたと・大事な人との人生」を潰すからです。

棒に振るってしまうからです。

お金がないから、治療費を削ります。

お金がないから、介護代を削ります。

お金がないから、施設に入れて上げられないです。

・・・ね。

お金が全てではない。って言ってるあなた。

あなたは、その言葉の裏で「大事な人へのベストな選択肢」を捨ててるんです。

これって、悲しくない?

そう考えた時、私は、人生を変えたい。

こんな人生リセットしたい。

そう強く思いました。

ちなみに、私が学ぶことを決意した人のメールはこれです。

毎月、リアルでの作業会もしていらっしゃいます。

ネットの虚像・虚構ではなく、生身で会える・嘘偽りのない人です。

きっかけをくれた人のメールを、
同じように読むことができます。

この文章を書いた理由

いま私は、自分の苦しかった過去を踏まえて、もう2度と昔の私のような人を出さないための活動をしています。

私は、過去の私を強く恥じています。

後悔しています。

値札の4枚を手に取ったとき、「売れ」が先に浮かんだことを、恥じています。

4枚で1万1,560円。去年の21枚は5万8,400円。1万1,560円は、戻ってきていません。

値札は、付いたままです。

だから、値札を外さないまま、自分に言える人でいたい。そう思っています。

この、当たり前のことを当たり前にできない社会です。

だったらせめて、私が手を伸ばせる人には伸ばしたい。

自分が辛かったからこそ、これをちゃんと叫びたい。そう思っています。

ほとんどの場合、あなたは昔の私と同じように

「バケツ型」の人生のはずです。

一度でいいから、本気で「もし、水路的な」お金が入ったら。と心の底から強く思ってみてください。

もし、雇われず・国に、会社に、他人に頼らず、

「彼らからお金をもらうことなく、」

3万でも、5万でも10万でも入っていたら。と。

決して、私は大金持ちになりたいとは思わないです。

でも、、、

もし、朝起きたら、10万、20万とか入っていたら。と。

もし、そんな奇跡が毎月、毎日、続いたら・・と。

こっちの人生は、心の底から欲しいと思います。

なぜなら、そんな毎日が続いたら、

大切な人との時間を、

大切な人の「もしも」を、

この手で、大事にすることができるからです。

頑張って就職をして、子育てをして、ようやく自由が。

そんな時に、また新たなお世話問題が。

そんなことでまた人生を費やす。こんなバカなことがあっていいのでしょうか。

バカなことって書いたら言葉が悪いですが、でも、そうでしょう?

だって私たちの人生は、私たちのものなんだから。

私たちは、家族の世話のために生まれたんじゃなくて、私たちの人生を生きるために生まれてきてるんです。

これも、きっかけをくれた人の受け売りなんですけどね。笑

でも、そうだと思うんです。

私たちの人生を、私たちの手に取り戻す。

この当たり前の幸せを手放さないために。

その気持ちで、きっかけをくれた人との運営に力を注いでいます。

この文章が、少しでも多くの人の希望になったら嬉しいです。

敦子

もう一度だけ。
きっかけをくれた人のメールは、
こちらから読めます。